子安観音寺―ジジの一言

ジ ジ の 一 言

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こちらに書いていない日でもブログの方はほぼ
毎日更新されていますので、
そちらも是非ご覧ください。
こちらから

住職、大観音に
桜を株分けする

(2011年10月19日)

母から子に
(2011年10月17日)

北海道からご供養に
(2011年10月6日)

500延命常楽観音
法要

(2011年10月2日)

今夜のディナーは
心で味付けをしよう

(2011年9月28日)

こだわらない心
(2011年9月27日)


義父からの伝言
(2011年9月26日)

琉球王国ドラマ
【テンペスト】を
ご覧んになりましたか?

(2011年9月24日)

地獄、極楽は
生きて居る間にある

(2011年9月23日)

台風 15号 一過 :
報恩感謝を想う

(2011年9月22日)

ギョウ ウエイさんに
教わった一言

(2011年9月21日)

敬老の日;
孫から心のプレゼント

(2011年9月20日)

孫 紫月: お宮参り
(2011年9月19日)

一万体の水子供養会 厳修

(2011年9月18日)

小豆島大観音 : 彼岸会
(2011年9月17日)

お盆のシーズンを終えました。
(2011年9月1日)
【初詣で 鳥居の 影を 人 でずる】
                                      虚子

新しい年を迎えて 初めて 神社仏閣に
お参りする事を 【初詣】と いう。

テレビ ラジオでは 
何それ 神社  何百万人参拝とか
お相撲さんや 有名人の 顔を 
アップするが 

そもそもは 江戸時代から 盛んになり
善男子善女人、老若男女 家族揃って
菩提寺や お宮さんに お参りをした。

お賽銭を 投げ入れ、
祈祷 祈願をし
添え護摩を 護摩壇の中に投入するのだが
皆さんは 何を お願い しましたか?

『お金持ちに なりたい』
『宝くじが 当たりますように』

『素晴らしい 彼氏が できますように』
『海外旅行に 行けますように』

私たちは 自分の 都合のいい 望みを
一生懸命 手を合わせて お願いをする。

しかし、自分は 何の努力もしないで
只々 神 仏に 縋ってみても

それだけで 我が願いが 叶い
バラ色の 毎日が 送れるようにと
願うのは 身勝手では ないだろうか?

それは ダイエットの 教本を 買ってきて
テレビで 指導者が やって居るのを
饅頭や ケーキを方張りながら見るだけで、

何の努力もしないで 
『どうか スリムに なりますように』
と、真剣に 願うような ものだ。

【病気平癒】や【厄除】【商売繁盛】の
祈祷や 添え護摩や お札は
みなさんの 信心が あってこそ
成就するもので 神仏まかせで
『祈祷して 貰った』
『護摩を 焚いて 貰った』では
絶対に ご利益は 頂けない。
新年にあたり 初詣のさいは

神や 仏に 自身の お願いを
おネダリする前に なによりも

神仏に真剣に お約束をして貰いたい。

ジジの 4山も お陰を 頂く
初詣の 善男子善女人で 一杯だ。

【小豆島霊場  恵門ノ不動】
厄除 商売繁盛の 道場だ。

【小豆島霊場  山ノ観音】
小豆島 只、一ヶ所の 病気封呪 道場だ。

【本坊 子安観音寺】
[おうどん 接待の 寺]として
全国に 紹介され 
多い日は、1日に何千杯の 
接待が出ることから
最近では、
観光バスの お客さんも 参拝し始めた。

たまごクラブ という 雑誌に 紹介され
安産、子貰い、子育ての寺として
親しまれている。

【大本山 小豆島大観音  佛歯寺】
とおくは スリランカの 大統領より
頂いた 仏歯を 拝みに 大勢の
遍路、観光客が 参拝する。

また、[しあわせ観音]とも言い
パイロットは 小豆島の事を
[白い ブッダも島]と言っている。

4山を 参拝して 丁度 1日で 
参拝できるので
 [小豆島 4山  しあわせ巡り]として
親しまれて いる。

初参りには 是非 [しあわせ 巡り]を
して 頂きたい ものだ。

新しい年を迎え、
今年 1年間も 健康で しあわせに
暮らせますように 心から 
願って 貰いたい。

                                        合掌
(2013年1月1日)
新年 あけましてやおめでとう ございます。

昨年は 大地震から始まって、 

被災なさった皆さんは勿論の事、国民の皆さんにとって

大変な一年でありました。

新しい年を迎え 今年こそは穏やかな年でありますように。

もう 神社仏閣に初詣をしましたか?

12月31日の事を【 大晦日 】おおみそかと、言います。

月々の最後の日の事を

【晦日】みそかと言い 

[ 月の無い暗い夜 ][月が光を失う闇夜 ]とされ

[月が隠れるつきごもり]から 

12月31日の事を[おおつもごり]といわれています。

私たちは この闇夜の夜から元旦までの間、 

静寂にし 心を内に込め 心の準備をして 時を

待ちます。そして一年を振り返り、反省をする時なのです。

来年こそは 良き年であります様に、

自分を見つめなおす一夜にしたいものです。

そして時計の針が12時を回るないなや 

全国 一斉の寺々で殷々と【除夜の鐘 】がつかれ

喜びの新しい年を迎えます。

新しい年を 【 寿ぐ 】ことほぐのです。

除夜はまさしく 古き年から 新しい年にかけての接点にあって、

自らの煩悩( ジジはこの時はシガラミと言う 言葉の方が好きなのだが ) 

を取り除いた喜びを お互いに 分かち合うのです。

【正月元旦 】は これまでの生き方を 正しく修正して、

一から出直す日なのです。

それは 除夜に引き続いてあり 除夜が有って 始めて出来るのです。

正月元旦こそは 心を新たにして

 正しい道を これから歩むことを 決意する日なのです。

《 少し かたくなりましたが、お正月ぐらいはね !  》

合掌
子安観音にて 報恩感謝 の柴燈大護摩 : 厳修

寺内法要の締め括りとして

師走、子安観音寺にて大護摩が焚かれた。


昨日の大雨とは打って変って

暖かで風もなく最高の日和での 法要だ。

住職が 挨拶の中で

【 今年は 東日本 大震災や色んな出来事が有ったが

この法要は昨日の大雨から 打って変って、

初冬随一のお天気の中で行う事が出来た。

皆さんの 来年一年の“幸せ”は受けあいだ。】と、

言う事と

【 皆様に “ありがとうの宝燈”を沢山、奉納して頂き

お陰さまで県道から 寺まで大型の観光バスが入るようになりました】

と、お礼を述べた。

また 【 ありがとう 】の話の中で

《 四恩 》をといた。

1)天地万物に対する恩。

2) 国王に対する恩。

3) 両親に対する恩。

4) 衆生に対する恩。

天地万物がなければ

私たちは食することも

眠ることも

衣服を身に付けることもできない。

国王は今で言うと、日本全体の事を指すのでしょうね。

また 私たち国民の為に、足繁く

足を運び、優しいお言葉をかけてくださる皇室の皆さんでしょうか?

内閣でしょうか?

私たちは父母の対する恩愛を忘れてはいけません。

そして何と言っても衆生の恩です。

隣のおじさん、おばさん、地域の皆様無しでは 生活して行くことは出来ません。

これは《 四恩 》と言って、私たちが生きて行く上で最も大切な事だと

仏様は言われて居ます。

【 ありがとう 】感謝の意味を込めたこの言葉。

美しいですね。

お互いがお互いに感謝し、礼拝し合う姿。最高です。

今日の 師走の素晴らしいお天気のように。

今、『大根を炊きに 40年間休みなしに 奉仕させて頂いている』

と言うおじさんが

真っ赤な顔をして 大根を炊いて居た。
合掌
(2011年12月4日)
上へ

みんなが 一丸となって

晩秋の秋晴れの今日、

小豆島大観音において

秋季法要が厳修された。

大観音の本堂して

法要 ( 理趣三昧 )を修し、




その後、下のお祭り広場に祭壇を移し

盛大に、かつ厳粛に挙行された。

先日来よりの天気予報は

土曜日、日曜日は【大雨】と

いう事で覚悟をして居たのだが、

私の精進が良かったのか(笑)

皆さんの日頃の行いが

良かったのか

青天白日の中、粛々と法要は進んでいった。

昨日からビパッシー僧正のことは紹介しているが、

今朝は早くから スリランカ駐在大使

ご夫妻に花を添えていた。

大観音建立以前から

念願だった修行も勉強も熟知した

【僧侶】【行者】も相揃い、

約50名の【高野山金剛講 】の

皆さんのご詠歌の熱唱奉詠、

(ジジが勉強して居る)占いの【鑑定大先生】が

5名で占い鑑定をしていただき、

献灯、献花、献茶の、お供もあり、大勢の檀信徒でごったがえした。






何より有難かったのは

会長を中心とする小豆島大観音 奉賛会、

子安観音の檀家の皆さんのご奉仕であった。

見えないところで準備、進行、後始末と日陰の仕事ばかりして下さった。

参拝者から

『奉賛会の皆様、檀家の皆さん、よくしてくれますね。

うちの寺には檀家の皆さん、こんなにはしてくれませんよ』

と、褒められ、嬉しかったのと共に

感謝の気持ちで ただただ頭が下がった。

檜舞台を踏む人と、

縁の下の力持ちとの 強い連帯感。

これが 今日の法要を

大成功に導いたものと思う。

不平不満で手伝う人が一人でもいたら、

このようなお祭は


出来なかったであろう。
合掌

(2011年11月20日)
上へ
長続きは 忍辱の行

  秋雨がシトシト降る中で、

行者さん達の勉強会があった。  

この20日の小豆島大観音の秋季法要で

厳修する 

柴燈大護摩のリハーサルを兼ねての


勉強会だ。

大観音、

開山して17年目に入るが、

それに伴って  

【大観音 行者連 】


が発足した。

年々歳歳、

地道な活動が身を結び、

住職を中心に会員さんも増えた。

【三日坊主】と、

言う言葉があるが 

その反対が不撓不屈の精神、

【忍辱の行】である。
   
ジジも若い頃から 

頑張り屋さんで一度、

やり出したら、

途中で投げ出すのは否な方だ。

学校から帰ってきて、

老僧に連れられての朝勤行。

当時は6時からのお勤めで

5時半起床は

若者にとって大変な行だ。

住職を卒業してから、

その頃、

一緒に目を擦りながらお経を

読んでいた仲間が

『あなたは、

幾ら遅く寝ても

朝勤を休んだことがなかったな』と、


言ってくれた。

『ああ、見る人は見てくれているのだな〜』

嬉しかった。


また、ギターを持って5名で楽団を組み、

噂が噂を呼び、

1番  多い時には メンバーが

20人にもなった事も有った。

これも両親が 

拝むように祈るように説得し、

最期に


小豆島の地にて

700人のコンサートを開いて、

幕を閉じた。
 
少々の趣味も有ったが、

【大観音、建立】

という、

大義の元に

すべて中途半端に

終わってしまい、

完全撤退して

建立後の今、

完成した姿で

お見せ出来るものは何一つない。
   
と、言うことは

【 忍辱の行 】が、

如何に大変であり、

物事を続ける事が

いかに難しいか

お分かりになるだろう。
  
行者の皆さんは、

雨の中を黙々と 

【忍辱行】を

続けられている。

本当に頭の下がる事だ。

どうかみなさんが 

お元気で、

大観音に、

今以上の活気と有難さを

与えていただけますように。
   
合掌

(2011年11月5日)

平穏無事、これ最高のしあわせ

明日、

外孫の七五三があり、


ジジも一緒に神社に

お参りすることになり


昨日の新歌舞伎座

公演からみれば、

今日一日は

ポッカリ空いた中日である。


七五三の兄妹が

今流行りの病気で

高熱が出て、

明日を心配していたが

『お家まで行って

診てあげようか?』と、

申すと

( 勿論、パパは会社だから )

ママと三人でジジの所に


来るという。

グッタリして居るのかと思ったら、

思いの外

元気で

(ジジだったら、

大蒲団をかぶってウンウン寝ているだろうに)

走り回っている。


『なんと、子供は凄いな』


感服したり、

『今 寺では住職が

東に西に大奔走しているだろうな。

申し訳ない事だ』と、


遠いこの地から

平身低頭したり、


あっという間に

太陽が西に沈んでしまった。


孫の守りというが、

反対に遊ばれたり

泣いたり、

笑ったり。

何にもない平穏無事な


一日が

これを《しあわせ〉と、

言うんだな。


家族がお互いに

おもいやり、

お互いに気を遣うこともなく、

知らない間に一日が


過ぎ去って行く。

これを蜜厳国土、

極楽浄土と言うんですね。

そして、仏様も 天女も


こんな淡々とした一日を、

送ってらっしゃるのだろうな。


只、残念な事は

私たちはいつの日か

此岸の雑踏の中に

帰っていかなければならない。


本当に今日は、


【 つかの間の夢 】

をみせてもらった。
合掌
上へ

住職、大観音に 桜を株分けする

住職と住職の恩師で

大観音の境内に桜の木を

300本、株分けをした。

恩師とは

ジジが中学生の時は教頭先生、

住職が小学校の時は校長先生と、

親子二代にわたって

教鞭をとって頂いた方だ。


退職後は丁度、

ジジの住職の時代だったが


長年、子安観音寺の


檀家総代として寺の為に貢献され、


大観音建立にあたっても


絶大なる協力を頂いた方だ。


『大観音を 花の寺にしよう。

その季節、季節にその時々の花で、花盛りにしよう。』

『境内に踏み込んだだけで、

参拝者の皆様が、

心も身体も和やんで帰って貰いたい。

家で会社で一生懸命お働きになって

疲れたとき、

また大観音さまに足を向けて貰いたい』

実際、

恩師は境内に沢山の草花をお植えになって、

私達は春夏秋冬、

知らずして

その

【 徳 】


を受けさせて頂いている。

今回の住職の突然の参加も


恩師の発菩提心に

感銘をうけた為だろう。


また六波羅蜜のお話で、

読んで居る方は面白く無いだろうが、

簡単に書くので読んでね。


私達が住んで居る


此岸の世界より、


仏様が住む

彼岸の世界に渡る為の

6つの

《行》

だと言う事は、

この前に述べた。


最初によく出てくる

【布施】


次に


【持戒じかい】

【忍辱にんにく】

【精進】

【禅定ぜんじょう】

【智慧】

と行は進みますが、

一つ一つはまた、

述べましょう。


さて、

恩師の 行は

【忍辱波羅蜜】


と言いまして花を供える行なのです。

『この人が入って来ただけで、

その場は本当に花が咲いたようだ』

そんな言葉をよく耳にします。


そうなのです。

私達、生きとし生きるもの全ての周りを、

一万本のバラで埋め尽くすのです。


心も身体も、視野に入る全ての場所を。


経本には


【忍辱波羅蜜】

の事を、

( 常に心を和やかにして、耐え忍ぶ心を持つ)

と、お教えになられています。


和やむだけでは駄目なのです。

常に耐え忍ぶ精神力を持たなければ。


最近の子供は

自分に興味の無い事には

耳を傾けず、

何をしても長続きしません。


何はともあれ、

何故、

ジジも参加しなかったのかな?

合掌
(2011年10月19日)
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母から子に
舞鶴でお葬式があり、 
末席の1人にに参列させて貰った。

長年、
大勢の同行と一緒に
小豆島を参拝なさった
79才のおばあちゃんのお葬式だ。

『あー美味しかった! 』
お昼のご飯を頂いて、
そう言い残して鬼籍の人となられた。

こだわったら、
いかんのだけど、

もし、
出来うれば私も 
そのような死に方がしたい、
   心からそう思うジジであった。

大勢の同行を引導し、
人心を啓発された人だけに

社会活動も活発で、
なくなる迄、

老人の
格好で家に居た事など無かったそうだ。

子供の教育にも熱心で

長男は学校の校長先生まで
なられていて( 現職 )

 お孫さんもみんな、

優秀なそうだ。
   
最期に棺をあけ、

ご本人と別れをさせて貰ったが、

小豆島八十八ケ所参拝のおりに

着ておられた

笈摺やお杖を

見たときには、

思わず知らず目頭が熱くなった。

息子さんが現職の校長先生であり、

勿論、
ご本人の生涯の集積がなしているものも

大きかろうがだろうが、

参拝者の数と

焼香の長蛇の列は

後を絶たなかった。
 

 残念だったのは、

《 母の遺徳を偲ぶ話のなかで、

唯の一言も
 
小豆島参拝に触れなかった

ことである。》


母親と一緒に小豆島を
参拝して居る姿は拝見している。


《定年退職後は
母の後をついで
島を回らせて頂きます』


ぐらいで結んだら 

どんなに素晴らしかっただろう。
   



これもジジの

【こだわり】

と

【ボヤキ】



真っ先になおさなければならない事だが・・・。


しかし、

年月がかかっても、

時間がかかっても、

ゆくゆくはそうして欲しい、


そうなって欲しいと、

願うジジであった。
 
 
なき母君も・・・・。


きっとそう思われて居るだろう。


母から  親愛なる息子に…。


合掌

(2011年10月17日)
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北海道からご供養に

大観音にて、

ご法事があり住職共々

3人の僧侶で懇ろに供養した。


北海道、名古屋、大阪の方、全員で5人で。

聞くと北海道の夫婦が

子安観音の13代住職の

縁者の方だった。

大きな 牧場を経営なさって居て

小豆島には

なかなかお参りする時間も


ゆとりも無い。

『今日は本当に良い日だ。

叔父叔母も喜んでくれて居るだろう』

と涙ぐんだ。


私も胸が熱くなりながら

『私が死んで50年以上経って、

誰か 私の墓で手を合わせてくれる

人は居るだろうか?』


と考えた。


昨今の葬式は大ホールから家族葬に。


これは良い。


驚くのはお葬式もあげないで


病院から


直接、斎場に、


と言うのもあるという。

ご法事にしても

渋々、


葬式はあげたものの、


『ご法事は 遠慮させて頂きます』


だって。


産まれ落ちて今日まで


《我が子一筋》

こよなく育て上げてくてた

両親、祖父、祖母への

恩愛の気持は一体、


何処に行ったのだ。


因果応報、


そういう人は生きながらにして、



自身の子供、孫たちから


『お父さん、

お母さんだってじいちゃん、

ばあちゃんに辛く当たってたじゃあないか。

お葬式もあげないで』


その方がした行為と同じ事をされる訳です。



『叔父、叔母も喜んでくれるだろう』


とても良い言葉です。


きっと13代住職夫妻も、


後々の人が、


いつ迄も手を合わせるような、

そんな善行を


尽くしたのでしょうね。


わたしもマネをしよう。

勉強しよう。

修行しよう。



大徳のある先代のように。
合掌

(2011年10月6日)
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500延命常楽観音 法要


大観音にて500観音の法要があり、

私と泰道住職の師僧で有る塩田僧正のご臨席も賜り


大勢の檀主さん出席で荘厳華麗に厳修された。


500羅漢という言葉が有るが、

私達が生活をして居るこの世にて色んな方が、

日々、


喜怒哀楽、喜んだり悲しんだりしている。

隣のかたの傷みが分かり合いますようにと


500羅漢霊場が創られた。


お観音さまも羅漢さんと同じ、


この衆生にて私達とともに
喜び悲しんでくれる。

そんな道場を大観音に参拝に来られた

すべての皆さんに体験して


貰いたい。


その様な気持で500人の檀主さんに声をかけて


完成した曼陀羅霊場が出来たの
です。



高野山にお参りをしますと


本山の大柱の両サイドに

【 相互供養 】

【 相互礼拝 】

という





文字が掛っています。


簡単に説明すると今も申し上げたとおり、


お互いがお互いを

供養しましょう、

お互いがお互いを礼拝しあいましょう、

とお教えになっているのです。



私達も、人の痛みが分かる人間になり、


〈身口意〉三密の行といいますが


私達の心と
口と身体での実行によって、


人に喜びを与える人間にならねばなりません。



『お観音の教えは智慧と慈悲。

それが実践で来たあなた方は、
既に、観音菩薩の境地に
立っている。

あなた自身が既にお観音なのですよ』


そんなお話をした。


法要でした。

合掌
(2011年10月2日)
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今夜のディナーは 心で味付けをしよう


久しぶりの外食で

田舎のジジが意気揚々と

暖簾をくぐった。



『さて、何を 注文しようかな』


期待に心を含ませて


" おきながし "



を繰っていると




隣り合わせの席のファミリーの食事の声が聞こえてきた。


『おい! これを食うてみろ。美味いぞ』

素晴らしい事である。

美味しい食べ物で有るから私、1人食べたのでは勿体ない。


貴方も食べてみなさい。…そう言って居るのだが、


わたしは一編に嫌な思いをした。


昨夜は 『 こだわるな 』と、言っていた私がこだわって居るのだ。



幼少の自分が思い出された。

家族だけでない。

お手伝いのお坊さん含めて

20数人の

大所帯の食事であった。

全員が揃うまでは誰1人、

箸に手をつけない。


老僧が般若心経を唱えた後、


全員が合掌して大きな声で

『 いただきます! 』


と言ってから箸を付けます。



食事を頂きながら老僧はよく言っていた。



『何事にも感謝をして

食事を頂かなければ

いかん。

今日も無事にしあわせな日暮らしが出来、

健康でこうして20数人の人間が和気

あいあいと食事をいただく事が出来る。

有難い事だ。』


[一粒の米、]

[天地の恵み、]

[農家の方のご苦労]…

私達だけでなく、

皆さまも耳にタコが


できるぐらい聞いている事だろう。


そしてそのお米を感謝しながら口にする。



私達は一粒の米を《頂く》のであって、


ライオンや虎が延命の為に《餌を食う》のとは


違うのである。



『感謝しながら頂くのであって、


特に、食べ物に不平不満を言ったり思ったりするのは


もってのほかだ。

ブツブツ言いながら頂いたら、



どんなに美味しい物を頂いても



砂を噛んで居るようなものだろう。




【食事は甘いも辛いも 心で味付けするものだ】



ディナーを忘れて


30年前に遷化した老僧の言葉が

ガンガンと響いた。




『ああっ! 忘れて居た。老僧さんありがとうございます。』


合掌
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こだわらない心


『ジジの一言、


書き出してもう一週間経つけど、

誰か見てくれているんやろうか? 』


ため息まじりに呟くと


『 こだわったら アカン。


こだわるから不平不満が出るんや。』

『五体 (五蘊 ) が満足で悪い所知らず。


住職である長男に後を託し、

素晴らしい信者と、

いつも見守ってくれて居る檀家の皆さんがいる。

一体、何が不満なの? 』

との事。


『 何にも こだわって無いよ 』


と、言い訳をしながら、

かの有名な奈良、


薬師寺の前の高田 好胤管長猊下の


【 こだわらない心、

とらわれない心、


偏らない心、


広く広く、もっと広く。


それが般若心経、《 空 》の心です]


と言うフレーズが出てきて、



それが聞きたくて何度も何度も、


薬師寺に赴き、


管長さんのお話しに耳を傾けた在りし日を



懐かしく思い出しました。



身長が高い低い、

成績の良し悪し、

お金の有り無し…

ことごとく他と比較して物事に


こだわるから


不平不満が出てそれが欲望の元となる。


だーれも居ない、

なーにも比較すと事が無い。


いつも自分一人だと


心を開放し時、


どんなに心が清々しい事か!



皆さんも、


日頃の生活の中で


ことごとく 物事にこだわり


一喜一憂し、喜怒哀楽し、



欲望を消す事すら出来ず、



自暴自棄になったりして居ませんか?



こだわりを捨ててください。



霧が晴れ

心が晴れ、

すがすがしい日暮らしができますよ。


ご家族、1人1人の



笑い声が聞こえる様です。

合掌

(2011年9月27日)
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義父からの伝言


父の様に慕っている方が、

体調不調にて、


但馬 豊岡病院までお見舞に行った。



高校の校長までして居たそのお方は


私が病院に着くなり


『90年間、自分の宝物として読み、

集めて来た何千冊のこれらの本を

大観音に持って帰って

《 小豆島大観音 図書館 》を

作ってくれ。

これらの本は私の集大成で有り私の生命そのものである。』

と言われた。


麻酔の昏睡状態の中で、愈々、


これから三途の川を渡るところまで来て居たそうだ。


ああっ! とうとう三途の川を渡ってしまうのだ。


…対岸を見ればだれか居る。



眼を凝らしてよくよく見るとその方は大観音さま、


そのものだった。


『ああっお観音さま』



思わず知らず立ち上がった私に


『 三途の川を渡る事になったのだが、


おまえは、そなたの




1番大切な物をこの世に置いていけるか?


いいや、それだけでは無い。



なにも持たないで


この川を渡れる事ができるか?



それができれば極楽浄土にて仏様と生活をする中で本物の



行者になれるであろう。』


と、言われたそうである。



たじろいだ! 今までの集大成を残さず、



身、一つでこの川を渡れとは。



あ、今まで本を読み、


実践し、



頭の中だけで分かって居た事は、



実はこの事だったのだ。




小欲知足、足るを知る。



自分の欲得は際限なく永遠に欲しつずける。



自分の程を知れ。




大観音さまはそれを諭されたのだ。



『 よし! わたしは自分の生命である、



私のこの本を


大観音さまに納めさせて頂いて


参拝してきた大勢の信徒の皆さんに少しでも身に付け、



喜んで頂こう 』


と。



『迷惑で無かったら納めさせてくれるかいな』




帰る車の中で わたしは、



とどめなく流れる涙を拭った。

(2011年9月26日)
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琉球王国ドラマ 【テンペスト】をご覧んになりましたか?


昔、家族旅行した沖縄の首里城を懐かしく思い出しながら、


テレビドラマ[テンペスト]の



小雑誌を読んで居ます。




ドラマでは黒船襲来して日本中が右往左往して居る幕末の話ですが、


オーク号と言う

イギリスの商船が琉球王国沖で座礁しました。



ちょう琉球王国は清国と薩摩藩 ニ大大国に
挟まれ『アヘン戦争の仇。全員 打首にしろ』と、



いう清国と『捕えて奴隷にしろ』という
狭間の中で 寧温(ねいおん)と言う主人公が首里城主を説得し



大船を新造して乗組員全員を
イギリスまで無事送り届けたと言う話まで読んだのですが、




イギリス王女からの礼状と
共に船長から『我々は最初、


この国を野蛮な国だと決めつけてしまった。


最初に感謝して
居たら、我々の滞在中は毎日、




喜びで満ち溢れて居ただろう。





わたしたちの傲慢と非礼を
許してくれ』というメッセージが届いた。




その時、寧温は


『これは人として当然の行いをしたまで』


と、言い切った。



『もし、英国で私達の船が漂流した時、同じ様にしてください。



襲わず、殺さず、奴隷にせず、


深い哀れみをもって漂流者をお救いしてください』



と返した。



これがお観音さまがいつも言って居られる


《 慈悲の心 》


《 智慧 》




なのでしょうね。



合掌

(2011年9月24日)
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地獄、極楽は 生きて居る間にある


台風15号が


日本列島を駆け抜けました。



ノロノロ14号と同様、


大変な被害が出ました。



お悔やみを申し上げます。




お山の道路の整備をしながら



[道路は大変な事になったけれど

被害にあわれた方から
みると有難い事だった]



そう思いながらの作業でした。




思いは取り様、


『何でうちの山だけが、道が流れるのだ! 』

『大変な事になったけれど
被災して居る方々から見れば 有難い事だ』



色んな思いが出て参ります。




(私だけが…うちの道だけが…)


『が』『が』…『我』『自我』




自我~欲望~あれも欲しいこれも欲しいと満たされないから


不平不満(瞋)~地獄




感謝の心~慈悲心~喜び~天国。




天国の事をわたしたちは《密厳国土》と言い自分の考え

一つでわたしたちは生きながらにしてお浄土にも行けるのです。


日々の生活の中で、



わたしたちは感謝し密厳国土で暮らさせて貰い、



しあわせな
日暮らしをしましょう。


作務をしながら、


そう想うわたしでした。
合掌

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台風 15号 一過 : 報恩感謝を想う



新幹線の様に日本列島南北を一気に貫き、

あちこちで大災害を引き起こした台風でした。


小豆島大観音をはじめ 各山では、

明日からの参拝なさる方の道路整備に大わらわ。


“ 大地震 しかり”
“ 原発しかり”
“大津波しかり”

誰が呼ぼうが叫ぼうが自然の力に勝るものは有りません。


大宇宙、大自然からみますれば、


いかに私達の存在の小さいことでしょう。


そんな 中で
わたしたちは「俺だけが」「わたしだけが」と生きています。



私達は生れながらに 【 三毒 】という業をもっています。


食事が美味しければもっと


食べたい( 貧 )とおもい、


まずければ、こんなものは食べられない( 瞋 )と怒り



挙げ句の果てには、



あれにすれば良かった、



これを食べれば良かったと愚痴を言います。




『いかり』『むさぼり』『いかり』の心を三毒といい、



この前にお勉強した【慈悲心】




【布施心】の実践からして、



まず第一番に取り除かなくてはなりません。




台風も地震も津波もない



平々凡々とした人生、




朝起きると小鳥のさえずりが聞こえ、





孫の鳴き声、子供の笑い声、いつもと同じ



何でも無い一日が、こんなに幸せだったとは



知らなんだ。






報恩を感謝して、授かったこの生命、



世のため人のために使いましょう。
合掌
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ギョウ ウエイさんに教わった一言


仕事が終って何気なくテレビを付けたら

もの凄い映像が目の中に飛び込んできて釘ずけに


なってしまいました。


なんと青年が足でピアノを弾いて居るのです。


途中から見たので、

何処の国の方かは分からなかったのですが、


彼は今、23歳。




11歳で(何らかの原因で)両手を切断し大変な生活苦に直面しました。


明るく前向きな彼は


水泳を習い始め、


国の代表としてパラリンピックに出場する直前になり、



病気が悪化し




水泳を断念せざるを得ませんでした。




普通なら落ち込み、

気が狂う筈なのに今度はピアノを


レッスンし始め、


世界中で認められ、


なんと東京のスタジオで足で演奏したのです。




両手がない事をクヨクヨし


《 そんな人生を悲しいと思ったら、悲しいし、一度しか無い
人生、楽しいと思ったら、こんなに楽しい素晴らしい毎日はない》



と、言い切りました。




両手両足を授かり、


なに不自由なく生活させて頂いて居る私達、


つまらない事で


不平不満を言ってはしないでしょうか?



生かされて居る生命、限りある生命、



大切に送り
楽しい日暮らしをしましょう。



と、教えられた清々しい今日でした。



合掌
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敬老の日; 孫から心のプレゼント


19日は敬老の日で、孫達より絵手紙の贈り物が届きました。


『 エッ 今日は敬老の日?』


驚きの中に嬉しさを隠しきれず、

子供が大喜びで土産物の包みを開けるように


包みを開いてみますと、


どの絵手紙にも



『 ジジ いつもありがとう』


『マミー長生きしてね』





のメッセージが飛び出てきました。



敬老の日に私達夫婦は(布施) を頂き、孫達は(布施行)の実践をしたのです。




布施と言いますと六波羅蜜の第一で、

金品を差し出す事ばかり考えてしまいますが



本来は

[ 何の見返りも考えなで、他人に自分の一番大切なものを差し上げて喜んで貰う事 ]

なのです。




大観音さまは( しあわせ観音 ) ですが



本当の喜びとは、



自分の望みが満たされる事ではなく、



私達の行いによって

他人がしあわせになる姿をみて喜ぶ事です。



毎日の生活のなかで

私達の行ないや言葉やまごころによって


誰かがしあわせになっていますか?

困って居る人を助けていますか?


一番大切なのは私達の笑顔です。


世界中の 1人1人の皆さんに笑顔を布施しましょう。




孫達にそう教わった、敬老の日でした。


合掌

(2011年9月20日)
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孫 紫月: お宮参り
子安観音 第18世 泰道住職の長女、紫月のお宮参り
  
今日は( さだん、危、母倉、大安吉日)の良き日にて 

実家のご両親を安城市から
 
お呼びして 今年の6月に生まれました孫の 

お宮参りに参りました。
   
自坊である、子安観音を皮切りに、

八幡神宮、

私の家内の実家の小豆島霊場の
 
長勝寺、最後に 小豆島大観音と周りましたが 

『 紫月がお利口で、元気な子に育ちますように 』

と、手を合せたのは言うまでも有りません。
                                    
合掌
伊勢末 八幡宮にて 長浜 長勝寺にて 子安観音寺にて

2011年9月19日
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一万体の水子供養会 厳修

今日、山ノ観音でお預かりして居る

一万数千体の水子地蔵さまの

一年に一度お祭りが 有り、


有縁の皆様で

かつ厳粛な法要がいとなまれました。



一万数千体といえば現在の小豆島の人口の半分の人口で



〔 こんなに沢山の水子さんが …〕と、
想いに耽るお勤めでした。



法要、終了後 住職のお話の中で

『 せっかく授かった沢山の大切な生命が
何らかの事で 闇から闇に葬られています。



今日もそんな可哀想な子供達が、
境内のあちこちで 覗くように法要を見ながら

“ああ お父さんが来てくれて居る”
”お母さんが手を合せて いる”

と、喜んで見ておられます。



みなさんが健康でしあわせな毎日を
送って居る

その 姿みて水子さん達は

安堵してお浄土で暮らせることでしょう。』

と、 結ぶと

あちこち から

すすり泣きの声が聞こえてまいりました。

2011年9月18日
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小豆島大観音 : 彼岸会
暑さ寒さも彼岸まで。と、申しますが
今日は折からの台風の中、


有縁の檀信徒の方々と一緒に秋彼岸会が行われました。




今日は暑くもなく寒くもなく、昼の時間と夜の時間が全く一緒で、
その日に私達が住んでいる此岸の世界から仏様が住むお彼岸の世界に渡る大切な日なのです。

私達はお彼岸にはお墓参りをしたりお坊さんをお呼びしたりしますが、

それよりも六道輪廻の修行をする事の方が大切なのです。

六種供養をし六波羅蜜の修行をします。



今日は布施行の実践をしましょう。


『こんにちは』『ありがとう』をモットーとし、



私達の隣に居る皆様に優しい心を持ち救いの手を差しのべる毎日を送る事です。



お彼岸の今日よりその実践を行えば、お坊さんをお迎えし、




お墓参りをするのと同じぐらい
素晴らしい事であり、


ご先祖さんも喜んでくださる事でしょう。
                                                                    合掌
2011年9月17日
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お盆のシーズンを終えました。


お盆と言えば、先日、檀信徒の皆様と「インド仏跡 巡礼の旅」と称して
お釈迦様の四大仏跡をお参りしてまいりました。


2500年前、釈迦入滅の折、茶毘に付されたご遺骨(舎利)を11の国が
分骨しその上に搭を建立して、神聖なお釈迦様の御遺徳をたたえました。



一切衆生は仏塔を建てご遺骨(舎利)を拝む事によって偉大な師を偲び、
師の教えに照らしてわが身を振り返ったのです。



私たちが今、行っている法事、葬式も同じことで
弘法大師は性霊集の中で

「法界とは惣べてこれ四恩なり。六道、誰か仏子にあらざらん」と
述べられ、


「四恩の高徳に報謝せん」と結んでいます。


私たちが受胎した直後から慈しみ育て上げて下さった
両親、縁者にその恩愛を感じ

これに報いる行いは人間として当然の責務であると、
説かれているのであります。





昨今、ご法事は勿論の事、葬式まで省略し直接斎場に向かい、
そのご遺骨すら取りに来ない方がおられると聞きます。




あまりにも自己本位で身勝手な行いに唖然として耳を疑います。





家庭を振り返りましても、自己中心的な人たちが住む家は


殺伐とした「鬼畜の城」となり、



家庭内暴力、ニート、殺人等の温床となり、


やがては因果応報と言う言葉がありますが、
家族がいながらも見放され


養老院にて寂しく晩年をおくることとなるでしょう。




恩愛の心を忘れず、優しい心を持った人たちが集う茶の間は

笑いが絶えません。



「お父さん、これお父さんが生前に植えた花が今年も咲きました。
見えますか?綺麗でしょう。」




「お母さんのお友達のとなりのおばさんが
持ってきてくれたお菓子。一緒に食べましょう。」




懺悔(ざんげ)の心、感謝の心、報恩の心。



仏様の前で手を合わせ今日一日の反省を胸の中で持ち、



他人に施しを与えようとする。


そうすることがご先祖様への何よりの供養となります。



平成23年9月1日
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